まじめに働いているだけなのに、急に上司の態度が変わった。
以前なら笑って済んでいたことが、ある日突然「それは問題だ」と言われる。
こちらは何も変えていない。
変わったのは、相手の見方です。
この理不尽さには、2000年以上前の『韓非子』が、驚くほど的確な答えを残しています。
今日は「余桃の罪」という故事から、組織で起こる理不尽の正体について考えてみます。
王に寵愛されていた少年が、母の病気を聞いて、無断で王の馬車に乗って実家へ向かう。本来なら重い罪です。でも王は、「命をかけて母を思うとは親孝行だ」と褒めます。
別の日、少年はおいしい桃を食べ、その半分を王に差し出します。王はそれも、「自分より私を思ってくれた」と喜びます。
ところが、寵愛が冷めたあと、同じ出来事の意味が反転します。「あいつは勝手に私の馬車を使った。食べかけの桃を私に食わせた」と。
行動そのものは変わっていません。変わったのは、関係性です。
そして、関係性が変わると、過去の出来事の意味まで変わってしまいます。
信頼は、一度作ったら終わりではない
ぼくにも、似たような苦い経験があります。
以前、ある上司にとてもかわいがっていただいていました。仕事も任され、信頼関係があると思っていました。
ところが、その後に勤務地が離れ、物理的な距離ができました。しばらくして、突然「もう帰ってこなくていい」と言われたことがあります。
そのとき驚いたのは、過去の出来事の意味が、まるで別物に書き換えられていたことです。関係性が良かったころには問題にならなかった行動が、あとから責める材料として並べられる。正直、かなりこたえました。
信頼関係は、一度作ったら永久に保存されるものではない、ということです。
同じ場所で働いていれば、小さな誤解は日々の会話で補正されます。表情、声のトーン、雑談。そういう細かい接点が、関係性をメンテナンスしてくれます。
でも、出向、転勤、リモートワークなどで距離が生まれると、その補正が効きにくくなる。見えない時間が増えると、人は空白を自分の感情で埋めます。そこに不信が混じると、過去の記憶まで悪い方向へ傾くことがあります。
逆鱗は、検証しない
では、どうすればいいのか。
まず必要なのは、「自分が正しいことをしていれば、必ず公平に評価される」という前提を少し手放すことだと思います。
これは人を疑って生きる、という話ではありません。
人間は弱い。
感情で解釈が変わる。
距離が空くと認識がずれる。
そういう前提で、人間関係を見るということです。
医療安全でも、「人は必ずミスをする」という前提で仕組みを作ります。
人間関係も同じで、「人は関係性によって解釈を変える」と見ておく方が、自分を守れます。
特に気をつけたいのが、相手の逆鱗です。
「ここ、もしかして怒るポイントかな」と感じたとき、誠実な人ほど確認したくなります。あえて触れて、反応を見たくなる。
でも、関係性が悪くなっているときの確認は、検査ではなく接触事故になり得ます。結果によって自分の行動が変わらないなら、踏み込まない方がいい問いもあります。
だから、逆鱗らしきものを見つけたら、検証しない。
そっと距離を取る。必要な連絡は丁寧に、短く、記録が残る形で行う。
それは逃げではなく、自分の手綱を握る技術です。
関係性も、地道にメンテナンスする
組織の理不尽さをゼロにすることはできません。
でも、自分の立ち位置を少し引いて見ることはできます。今、自分は相手からどう見えているのか。距離が空いた相手との接点は足りているのか。相手の地雷に近づいていないか。
こうした問いを持っておくだけで、ずいぶん守れる場面があります。
大事なのは、相手におもねることではありません。自分の正しさを大切にしながらも、それが相手にどう解釈されるかを見ておくことです。
人間関係は、資産でもあり、リスクでもあります。
一度作ったら終わりではなく、地道にコツコツ淡々とメンテナンスしていきましょう。
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次回は、「自分ばっかり頑張っている現状を変える」について書きます。
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一緒に、組織で消耗しない働き方を考えていきましょう。






「行動そのものは変わっていなくても、変わったのは関係性である」という『韓非子』の故事を引いた解説に、非常に深く納得いたしました。
以前は好意的に受け止められていたはずの行動が、関係の冷え込みとともに突然「責め苦の材料」へと書き換えられてしまう理不尽さは、組織に身を置く人間にとって決して他人事ではなく、人間の心の脆さを厳かに教えてくれます。