長く医者をやっていると、患者さんから、こう言われることがあります。
「自分で調べて、〇〇ではないかと思うんですけど……」
この言葉を聞いたとき、医療者側が少し身構えてしまうことがあります。
インターネットの情報が、いつも正しいとは限りません。症状を検索すると、怖い病気ばかりが出てきて、不安がどんどん強くなることもありますよね。
医療者の視点だと「その可能性は、かなり低いかな」と思うことの方がほとんど。でも、患者さんの直感が、結果的に正しかったという場面もゼロではありません。
ぼくの周りで印象に残っているのは、ギラン・バレー症候群と川崎病です。
どちらも、早く気づくことがとても大事な病気です。
ギラン・バレー症候群は、手足の力が入りにくくなったり、しびれが出たりする病気です。進行すると、呼吸ができなくなってしまいます。
川崎病は、子どもに発熱や発疹、目の充血、唇の赤みなどが出る病気で、診断や治療が遅れると心臓にダメージがあります。
どちらも、見逃したくない病気。患者さんが「もしかして」と思って受診し、結果的に正しい診断につながったとき、ぼくは本当に良かったな〜っと思いました。
それは、医療者が気づけなかった、という単純な話ではありません。患者さんやご家族が、日々の変化を一番近くで見ているからこそ、気づける違和感があるのです。
「いつもと違う」
「何かおかしい」
「なんか普通じゃない」
この感覚は、外来で短時間だけ接する中では、拾いきれないことがあります。だから、患者さんが自分で調べて受診すること自体を、ぼくは否定しません。むしろ、そこには大きな可能性があると思っています。
AIは、患者さんの「気づく力」を強くする
これからは、患者さんがChatGPTなどを使って、自分の症状について調べる時代になります。というより、すでにそうなりつつあります。
発熱が続いている。
手足のしびれがある。
子どもの発疹が気になる。
検査値の意味がわからない。
薬の副作用かもしれない。
こうしたときに、Googleだけではなく、ChatGPTのようなAIに相談する人は増えていくはずです。これは、医療者にとって少し怖い話でもあります。AIが間違ったことを言う可能性があるから(最近は、受診を促すことも増えましたが……)。
患者さんも必要以上に、不安を感じることもあります。逆に、本当は受診すべきなのに「様子を見てよい」と誤って安心してしまう可能性もあります。
だから、AIを使った自己診断を、無条件に礼賛することはできません。でも一方で、AIによって救われる人も必ず出てくると思います。
たとえば、症状がまだ典型的ではないとき。
複数の診療科をまたぐような症状があるとき。
家族だけが「いつもと違う」と感じているとき。
AIが案内してくれれば、診断の遅れを減らせる可能性があります。つまり、AIは医師の診断支援ツールであるだけではありません。患者さんの「気づく力」をサポートするツールにもなり得るのです。
大事なのは「病名を当てること」ではない
ここで大事なのは、AIが病名を当てることではありません。患者さんにとって本当に重要なのは、むしろこちらです。
「いますぐ受診すべきか」
「明日まで待ってよいのか」
「救急外来に行くべきか」
「かかりつけ医に相談すればよいのか」
「受診時に何を伝えればよいのか」
AIがいきなり病名を断定するのは危険です。
「あなたはギラン・バレー症候群です」
「これは川崎病です」
と断定するのではなく、
「可能性は高くないかもしれませんが、見逃したくない病気として、こういうものがあります」
「症状が進行している場合は、早めに受診してください」
「受診時には、手足の力の入りにくさ、歩きにくさ、呼吸のしづらさなどを具体的に伝えてください」
という形で、適切な受診行動につなげる。
ここが、AI医療の本質的な価値になると思います。
AIが診断名を当てることよりも、必要な人を必要な医療につなげること。
この視点が、とても大事です(あくまで個人の感想です)。
医師側の役割も変わる
患者さんがAIで調べてから受診する時代になると、医師側の役割も少し変わります。これまでは、患者さんがインターネットで調べてきたことに対して、医師が少し身構える場面もありました。
「ネットで見たんですけど……」と言われると、医療者側が防御的になることもあります。でもこれからは「AIにこう言われたんですけど……」という受診が増えるはず。
そのときに医師がすべきなのは、頭ごなしに否定することではありません。もちろん、間違っている情報は訂正しないといけません。危険な解釈や、受診を遅らせるような判断があれば、きちんと修正する必要があります。でも、その前に聞くべきことがあります。
「なぜその病気が心配になったのか」
「どの症状が一番気になっているのか」
「AIに何を入力して、どんな回答が返ってきたのか」
「その回答を見て、何が不安になったのか」
患者さんがAIで調べてきた内容は、単なるノイズではありません。そこには、患者さん自身が感じている違和感や不安が含まれています。医師は、その情報をうまく使えるようになる必要があります。
AI時代の問診では、
「何を調べましたか?」
「何が一番心配ですか?」
「AIやネットで、どんな説明を見ましたか?」
という質問が、意外と重要になるかもしれません。
AIがあるからこそ、医師の「臨床の勘」が問われる
ここで、最初の話に戻ります。AIが診断プロセスを簡略化していく時代に、臨床の勘はどう育てるのか。
患者さん側もAIを使う。
医師側もAIを使う。
鑑別診断もAIが挙げてくれる。
検査の候補もAIが整理してくれる。
そうなると、医師の仕事は簡単になるように見えます。
でも、ぼくは逆だと思っています。AIがあるからこそ、医師の臨床の勘はより重要になる。なぜなら、AIはたくさんの可能性を挙げることができますが、その中で何を本当に重視するべきかは、最終的には人間が判断しなければならないからです。
AIが挙げた鑑別の中で、どれがこの患者さんに本当に合うのか。
どれは理論上あり得るけれど、現実的には低そうなのか。
どれは頻度は低くても、見逃してはいけないのか。
どの情報を追加で聞けば、判断が大きく変わるのか。
この患者さんは、帰してよいのか、観察すべきなのか。
ここには、経験が必要です。そして、その経験は、単に症例数をこなすだけでは育ちません。
自分で考える。
患者さんの経過を見る。
自分の判断が正しかったか振り返る。
AIの提案と自分の判断の差分を見る。
外れたときに、なぜ外れたのかを考える。
この繰り返しの中で、臨床の勘は育っていきます。AIが出した答えを見るだけでは、勘は育ちません。でも、AIを使って自分の判断を振り返るなら、臨床の勘はむしろもっと鍛えられるかもしれません。
患者さんの「調べてきました」を、医療の敵にしない
患者さんが自分で調べてくることを、頭ごなしに否定してはいけないと、ぼくは学びました。
みなさん、「ロレンツォのオイル」という映画を観たことありますか?
これは、ロレンツォ少年が、当時不治の病と言われていた副賢白ジストロフィーに罹り、両親がさまざまな科学者の協力や自ら論文を調べ、最終的にロレンツォ少年の治療に結びつけるという、実話に基づく映画です。
学生時代、これを観て「患者さんや家族の声にならない言葉を聴く」ことを学びました。
(そのあと、さまざまな学術的な論争がありました。これはこれで、感動するので、またどこかで共有します)
インターネットやAIでは、もちろん間違った情報もあります。不安を煽る情報もあります。医療者から見ると、説明に時間がかかって大変なこともあります。
でも、患者さんやご家族が自分で調べる背景には、切実な思いがあります。
「見逃されたくない」
「大切な人を守りたい」
「この症状を軽く扱ってよいのか不安」
「医師にうまく伝えられるか心配」
その思い自体は、とても自然なものです。
AI時代の医療では、この患者さん側の行動をどう受け止めるかが問われます。「AIに聞くな」ではなく、「AIに聞いたことを、医師と一緒に検討しよう」という形にできるか。ここが大事だと思います。
患者さんの違和感。
家族の直感。
AIの提案。
医師の経験。
医学的エビデンス。
これらを対立させるのではなく、うまく統合する。
それが、これからの診断プロセスの理想形なのかもしれません。
診断は、医師だけが考える時代ではなくなる
診断は、これまで医師の専門領域でした。もちろん、最終的な医学的判断は医師が担うべきです。ここは変えてはいけない部分です。
でも、診断に至るまでのプロセスには、これから患者さんや家族、AIがより深く関わるようになると思います。
患者さんが自分の症状を記録する。
家族が日々の変化に気づく。
AIが受診の必要性や鑑別の可能性を整理する。
医師がそれを医学的に評価する。
診断は、医師一人の頭の中だけで完結するものではなくなっていく。
これは、うまく設計できれば、診断の遅れを減らし、患者さんの納得感を高める可能性もあります。
そのために必要なのは、AIを過信しないこと。
そして、患者さんの「自分で調べてきました」を軽視しないこと。
AIが出した答えを鵜呑みにするのではなく、患者さんがなぜその答えにたどり着いたのかを丁寧に聞くこと。
そこに、これからの医師の新しい役割があるのだと思います。
AI時代に残る医師の価値は、すべてを自分だけで知っていることではありません。
患者さんの違和感を受け止め、AIの提案を吟味し、医学的な文脈の中で判断すること。そして、必要な人を、必要なタイミングで、必要な医療につなげること。診断の主役は医師であり続けるかもしれません。
でも、診断のプロセスは、これからもっと開かれていく。その変化を怖がるだけでなく、どう設計するか。そこに、AI時代の医療の大きなテーマがあるのだと思います。
時代に取り残されないために
患者さんがAIで調べてから受診する時代に、医師はその情報をどう受け止めるべきでしょうか。
「ノイズ」として退けるのか。
「患者さんの不安の表現」として聞くのか。
それとも、診断プロセスを豊かにする新しい情報源として扱うのか。
AI時代に問われるのは、AIの性能だけではありません。
患者さんの違和感、家族の直感、AIの提案、医師の経験を、どうつなぐか。そこに、これからの医療者の力量が表れるのかもしれません。



