いまの仕事は、「任務」という形で、前職から出向しています。そんな中、前職から、こんな連絡をもらいました。
『復職には及びません』
その言葉を受け取ってから、自分の行く末について、ずっと考えています。
最初に浮かんだのは「自分はどこに戻るのか」という問い。
でも、考えているうちに、ちょっと違う気がしてきました。
本当に問うべきなのは「どこに戻るか」ではなく、「何に従って生きるのか」ではないか。そんなふうに思うようになりました。
「組織に属さない」が正解ではない
今回の件で、最初は「もう、どこの組織にも関わりたくない」そんな気持ちになりました。
ただ、自分のこころと対話していくうちに、
人と関わりたいし、
組織とも関わりたいし、
現場とも関わりたい。
教育にも、研究にも、制度にも、診療にも関わっていたい。
一人で完結する生き方をしたいわけではないし、孤立したいわけでもありません。
むしろ、人は一人では何もできない。
医療も、教育も、研究も、制度づくりも、誰かと関係を結ぶことで前に進んでいく。
だから、組織と隔絶することは、正解ではない。
打ちひしがれた自分に必要なのは、個人主義への回帰ではなく、なにか別のものになっていくことなんだと感じ始めました。
Affiliated, not subordinated
思考がぐるぐる回り、ここ数週間思考がまとまらない。
このまま、どこかの組織に入って、一カ所に留まって仕事をするのではなく、拠点を持たずにノマド的な生き方も悪くはない。
でも、それでほんとうに良いのだろうか?
あーでもない、こーでもないと、ぐちゃぐちゃした考えの渦に、一筋の光明が……
それが今回のタイトルにもある「Affiliated, not subordinated」という言葉。
日本語に直訳すると、「所属する。でも従属しない」。
ニュアンスを汲みとると『所属しないではなく、従属しない』
こちらの方が、しっくりきます。
組織と関係は持つ。
でも、従属はしない。
組織に所属はする。
でも、所有されない。
組織とつながる。
でも、支配されない。
この言葉が、いまの自分にはかなり腑に落ちました。
「所属しない生き方」だと、どこか孤立しているように聞こえます。
どこにも属さない。
誰とも関わらない。
すべてを一人でやる。
でも、ぼくが望んでいるのは、そういうことではありません。
ぼくが望んでいるのは、 所属しないことではなく、従属しないことなんだと、改めてりかいしました。
いつの間にか、なにかに従っている
自分では、何かに従って生きているつもりはありませんでした。
自分で考えているつもりだった。
自分で選んでいるつもりだった。
自分の意思でキャリアを作っているつもりだった。
でも、振り返ると、知らないうちにいろいろなものに従っていたのかもしれません。
肩書き。
専門性。
所属先。
資格。
年齢相応のキャリア。
過去の恩義。
周囲からの期待。
組織の空気。
「普通はこうする」という暗黙のルール。
もちろん、それらのすべてが悪いわけではありません。
肩書きには信用がある。
資格には意味がある。
組織には蓄積がある。
恩義を大切にすることも、人として自然なことだと思います。
でも、それらがいつの間にか、自分が本当に大事にしているものを見えにくくすることがあります。
自分は何をしたいのか。
誰に価値を届けたいのか。
どんな問いを持ち続けたいのか。
何のために診療し、教育し、研究し、制度に関わるのか。
そこを考える前に、
「この組織にいるなら、こうするべき」
「この肩書きなら、こう振る舞うべき」
「この年齢なら、こういうポジションを目指すべき」
というものに従ってしまう。
ぼくは、そこに少し違和感を感じました。
フラットな関係性への憧れ
2022年頃、ぼくはブロックチェーン、NFT、DAOといったものに強く惹かれていました。
もちろん、当時の熱狂には過剰な部分もありました。
投機的な空気もあったし、いま振り返ると冷静に見るべきところも多かったと思います。それでも、ぼくがそこに惹かれた理由は、いま考えるとかなりはっきりしています。
中央集権ではない関係性。
肩書きではなく、貢献でつながる仕組み。
上から命令されるのではなく、それぞれが自律して参加する構造。
組織に所有されるのではなく、ネットワークの中で価値を出す個人。
そういうものに、心が動いたのだと思います。
医療の世界は、どうしても縦の構造が強い。
上級医と若手。
大学と関連病院。
教授と医局員。
専門医と非専門医。
行政と現場。
制度を作る側と、制度の中で働く側。
その構造には意味があります。
経験の差もある。
責任の差もある。
意思決定の重さもある。
だから、単純に「全部フラットにすればいい」とは思っていません。
ただ、それでもぼくは、偉い人が決めるのではなく、価値を出せる人がつながる関係性に惹かれます。
上下関係を完全になくしたいわけではない。
でも、上下関係に従属したくはない。
経験のある人は、経験を使って支配するのではなく、次の人が考えるための地図を渡す。
若い人は、ただ従うのではなく、自分の問いを持つ。
中堅の人は、上と下の間で消耗するのではなく、自分の判断軸を持つ。
ベテランも、自分の成功体験に閉じこもらず、外からの視点でアップデートされる。
そういう関係性を作りたいと確信するようになりました。
教育も、研究も、診療も、制度も
ぼくはこれまで、医療、教育、研究、行政に関わってきました。
一見すると、バラバラに見えるかもしれません。
でも、自分の中ではかなりつながっています。
診療では、現場で何が本当に起きているのかを見る。
教育では、人がどう学び、どう成長するのかを見る。
研究では、問いを立て、結果が出たときに何が言えるのかを考える。
行政では、制度がどう作られ、現場にどう影響するのかを見る。
どれも、結局は同じ問いにつながっています。
人がよりよく動ける構造をどう作るか。
指導医がいない環境で、どう学ぶのか。
研究のアイディアを、どう表面的なものにしないのか。
若手、中堅、ベテランに、それぞれ何を伝えるべきなのか。
現場の違和感を、制度や仕組みにどう接続するのか。
組織の内側にいると見えないものを、外側からどう言語化するのか。
こういうことを考える始めると、1つの場所にずっと留まるよりも、複数の場所を行き来する方が、自分の役割には合っているのかもしれないと思い始めてきました。
ただし、それは「どこにも所属しない」ということではありません。
むしろ、いろいろな場所にちゃんと関わる。
でも、1つの場所に自分の価値や判断をすべて預けない。
それが、今の自分にとって、Affiliated, not subordinatedなんだと思います。
でも、組織を否定したいわけではない
大切なことは、ぼく自身、組織そのものを否定したいわけではありません。
病院も、大学も、行政も、学会も、組織があるからこそできることがあります。
人を育てるにも、研究を進めるにも、制度を変えるにも、個人の力だけでは限界があります。
だからこそ、組織は必要です。
ただ、組織に自分の問いまで預けたくはない。
肩書きを捨てたいわけではありません。
ただ、肩書きに自分の未来まで決められたくはない。
資格を軽視したいわけでもありません。
ただ、資格を維持することだけに、自分の人生を従属させたくはない。
恩義を忘れたいわけでもありません。
ただ、過去の恩義に、未来の選択まで所有されたくはない。
関係は大事にする。
でも、自分の判断軸は手放さない。
それが、いま自分が大事にしたい距離感です。
所属はする。でも、従属はしない。
これからも、ぼくはどこかに所属すると思います。
病院にも関わる。
教育にも関わる。
研究にも関わる。
制度にも関わる。
いろいろな人や組織と、一緒に仕事をすると思います。
でも、そこで大事にしたいのは、 所属しているかどうか ではなく、従属していないかどうかです。
自分の問いを持っているか。
自分の言葉で話せているか。
自分の判断軸を失っていないか。
誰かの評価だけで動いていないか。
組織の論理に、自分の人生を丸ごと明け渡していないか。
これは、キャリアの話であると同時に、生き方の話でもあります。
どこかに属することは悪くない。
むしろ、人は一人では生きられない。
でも、属することと、従うことは違う。
つながることと、支配されることは違う。
関わることと、所有されることは違う。
ぼくは、所属しない人間になりたいわけではありません。
ぼくは、ただ従属しない人間でありたい。
Affiliated, not subordinated
しばらく、この言葉を大事にしてみよう。



少し古い記事のようですが、刺さったのでコメントさせてください。所属するけれど従属しない、このスタンスでバランスが取れる人は社会人としての消耗が少ないですよね。自分軸を持つことの大切さ、この年齢だからこそますます大切に感じます。
おさるぼん🐒さん!
こんにちは。ご無沙汰しています🙏
投稿を拝読し、感銘を受けました。
そもそも、この内容自体、おさるぼんさんだから書けること!
以下は私見なので、どうでも良いことですが、少し書かせて頂きます。
自分の許容できる形で、組織に属することが可能な限り、その選択で良いと私も思っています。おっしゃる通り、如何なる組織との関係性を保つかがポイントなのでしょう。おさるぼんさんの様に、今の仕事に多機能面から関わられる方は、少数派のはず。それが、おさるぼんさんの個性だと思います。
web3(仮想通貨、NFTやDAO等)が脚光を浴びた、あの2022年頃に、其処に身を置かれた精神性も、おさるぼんさんの個性であり、組織に属して働かれることと矛盾は無いのでしょう。
では、着々と、ご自身のより良き人生を歩まれてください。また何処かでお会い致しましょう。
エディK より