先日、自分のnoteを振り返っていて、ある月だけ更新がぽっかり空いていることに気づきました。
理由は、はっきりしていました。
記事を書くのが、面倒になったんです。
ぼくは産科麻酔という、かなりニッチな領域で、論文を紹介するポッドキャストを週3回、1年以上続けてきました。回数にすると、もうすぐ200回……
ただ、その音声を文字起こしして、記事の形にまとめ直す作業がどうしても重くて、ある日パタッと手が止まりました。
「発信は続けた方がいい」とわかっている。
でも、真っ白い画面を前にすると、なかなか手が動かない。
この感覚、専門職のみなさんなら、覚えがあるのではないでしょうか?
「続かない」を、意志のせいにしていませんか
更新が止まると、人はつい「自分は意志が弱い」と考えます。
最初は、ぼくもそう思っていました。
でも、実際はそうではありません。
意志の問題ではなく、設計の問題です。
・完璧な文章を、最初から書こうとする。
・起承転結を考えて、てにをはを整えながらタイピングする。
これは、かなり認知の負荷が高い作業です。多忙な専門職が、すきま時間に毎回やるのは、無理があります。
そこでぼくは、「書く」のを一度やめました。
代わりに、スマホに向かって「喋る」ことだけに絞りました。
話が脱線しても、尻切れトンボになっても、気にしません。
その音声を、生成AIに渡します。文字起こしと、元になった論文を一緒に読ませて、整える。出てきた文章のうち、自分の専門知識から見て手を入れたい部分だけを直す。
生成されたテキストは自動でクラウドに保存され、更新情報も半自動で流れていく。そういう仕組みにしました。
結果として、週末のわずかな時間で、1週間分以上の記事を準備できるようになりました。
(簡単な作り方は、ウミノさんの有料noteから)
便利になると、別の不安が出てくる
ただ、効率が上がると、今度は別の声が聞こえてきます。
「自分の専門領域はニッチすぎる。情報発信しても、大勢には届かない。
意味がないのではないか」
確かに、産科麻酔はマイナーな領域です。
エンタメのように、何万回も再生されることはありません。
でも、毎回ぼくの配信を聴き、記事を読んでくれる30人ほどの医師がいます。
ここが、大事だと思っています。
この30人にとって、最新の論文が日本語でわかりやすく整理された情報は、明日の臨床に役立つ有益な情報です。
数を増やすために内容を薄める必要は、まったくありません。
少数の、本当にそれを必要としている専門家に、深く届く。
ニッチな発信の価値は、たぶんそこにしかありません。
AIは、ただ作業を短縮してくれるだけ
念のため書いておくと、AIがすべてを書いてくれるわけではありません。
文脈を取り違えることもあるし、もっともらしく間違えることもあります。
論文のどこが臨床的に重要なのかを判断するのは、最後まで自分の仕事です。
つまり、記事の核にあるのは、経験で培った自分の勘所。
AIと自動化は、それを必要な人のところまで運んでくれる手段にすぎません。
ここを取り違えると、ただの量産になって埋もれてしまいます。
意志ではなく、設計の話
これは効率化の話に見えて、実は「何のために続けるのか」の話だったのだと、今は思います。
続けるために必要なのは、強靭な意志ではありません。どうすれば自分が楽に、機嫌よく続けられるか、という仕組みのほうです。
そしてその仕組みは、再生数を稼ぐためではなく、本当に必要としている少数に届け続けるためにあります。
もし今、「書く時間がない」と止まっているなら、いきなり書こうとしなくていいのかもしれません。
まずはスマホに向かって、頭の中にあることを喋ってみる。
完璧にまとまっていなくて、構いません。
あなたの中にある経験や勘所は、それだけで誰かが探している知見です。
あなたの発信や記録が止まっているとして、それは本当に意志の問題でしょうか。それとも、仕組みで変えられる部分があるでしょうか。最近、続けることについて感じていることがあれば、コメントで教えてください。
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「発信が続かないのは意志ではなく設計の問題」という言葉に、持続可能な運用の本質を見出しました。
完璧な文章をゼロから書く認知負荷を、スマホへの音声入力とAIによる構造化、そしてワークフローの自動化によって徹底的に引き下げる。この「自分が楽に、機嫌よく続けられる仕組み」の構築こそが、多忙な専門職にとって最も現実的で強固な生存戦略だと感じます。