ここまで、
否認
怒り
取引
抑うつ
ショックを受けたあと、人の心がたどる道のりを見てきました。
最後は「受容」。
エリザベス・キュブラー・ロスによる「受容」は、死ぬことを受け入れることになりますが、今回ぼくが共有する心の傷の場合、ちょっと違う結末になります。
受容は、負けを認めることではない
「受容」という言葉を聞くと、
「結局、あきらめるしかないということですか。」
そう聞かれることがあります。
でも、ぼくは違うと思っています。
受容は、あきらめではありません。
負けを認めることでもありません。
出来事と向き合えるようになることです。
別にぼくも受容しようと頑張ったわけではありません
正直に言うと、
「受容しよう。」
そんなことは一度も考えませんでした。
怒りもありました。
「あのとき違う選択をしていたら」と考え続けた日もありました。
何もしたくない日もありました。
それでも時間が少しずつ過ぎる中で、気づいたことがあります。
以前は、その出来事を思い出すたびに胸が苦しくなっていました。
でも今は、
「あの出来事があったから、今の自分がある。」
そう思える時間が少しずつ増えてきました。
出来事そのものは変わっていません。
変わったのは、その出来事との付き合い方です。
ぼくは、それが受容なのだと思っています。
傷は消えなくていい
受容したからといって、傷が消えるわけではありません。
思い出さなくなるわけでもありません。
ふとした瞬間に胸が苦しくなる日もあります。
でも、その出来事を抱えたままでも前へ歩けるようになります。
だから受容は、ゴールではありません。
新しいスタートです。
## 心には、その人なりの時間があります
もし今、
怒りの中にいるなら、それでも大丈夫です。
「あのとき違う選択をしていれば」と考え続けているなら、それでも構いません。
何もしたくない日が続いているなら、焦らなくても大丈夫です。
心には、その人なりの時間があります。
無理に前を向かなくてもいい。
まずは、自分が今どこにいるのかを知る。
それだけで十分です。
この一連のシリーズで一番伝えたかったこと
ぼく自身、この5つの段階を学び直したことで救われました。
「ああ、自分がおかしくなったわけではなかった。」
そう思えたからです。
アラフィフになると、悩みが深くなってきます。ですので、このシリーズが、今つらい出来事の中にいる誰かにとって、「自分だけじゃなかった。」
そう思えるきっかけになれば、これ以上うれしいことはありません。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
このシリーズを読んで感じたことや、ご自身の体験があれば、ぜひコメントやメッセージで教えてください。ひとつひとつ、大切に読ませていただきます。
これからも、心と人生について、医師として、そして一人の当事者として書き続けます。
まだ登録されていない方は、無料登録して次回も読んでいただけたらうれしいです。




「受容とはあきらめではなく、出来事そのものは変わらなくても付き合い方が変わること」という言葉に、心がすっと軽くなるような救いを感じました。傷が完全に消えるわけではなく、ふとしたときに苦しくなることがあっても、それを抱えたまま歩いていければいい。そう思えるだけで、自分の過去や今の状態を優しく受け止められそうです。