生産年齢人口が減っているので、どこの会社でも、病院でも、省庁でも、日本はどこもかしも慢性的な人手不足。
新人勧誘、中途採用、頑張って人を増やして、「おおっ、ようやく軌道に乗ってきた。このまま安泰かな〜」と油断してしまうと、こんなことが起き始めます。
任せているのに、同じようなミスが、なぜか繰り返される。
仲は悪くないのに、肝心なときに、厳しいことを言い出せない。
いちばん大きな権限を持つ人が、いつの間にかルールの例外になっている。
それを見て、若手が辞めていく……
みなさんも、思い当たる場面が、ひとつくらいあるのではないでしょうか?
こういうとき、多くのリーダーが、まず自分を責めてしまいます。
信頼が足りなかったのか
伝え方が悪かったのか
もっと一人ひとりと向き合えば、よかったのか
ぼくも、長年そう考えていました。
でも、問題は別のところにありました。
それに気づいたのは、ある一冊の東洋哲学を学んでからでした……
その名は「韓非子」
キングダム好きなら誰しも知っている、あの韓非子の書いた中国古典です。
今日はそんな韓非子について、紹介します。
大きくなる組織に必要な戦略を学びたい人、必見です‼️
(出典:キングダム70巻、原泰久、集英社)
ぼくらは論語で育ってる
病院で麻酔科医として働いていたころ、何度もインシデントの報告をしたり、受けたりしました。
インシデント・レポートを書いて、ヒヤリとした出来事を共有し、原因を考える。そこでいちばん多く書かれている言葉は、
「次から気をつけます」
真面目な人ほど、そう考えてしまいます。
でも、気をつけて活用で防げるものなら、インシデントはとっくに防げています。
このようなアイディアは、解決策のように見えて、実は何も変えていない。
ここに、ぼくは長く引っかかっていました。
人が努力して〇〇すれば、事故は防げる。この根底には、優秀な人材になることが、万人に求められています。そのため、自己研鑽が大切。まさに、論語でいう「徳を積む」の上に成り立っている対応です。
信頼と仕組みは、対立しない
ここで、2,000年ほど前の中国古典をちゃんと知ることが、思いのほか効いてきます。
それは、『論語』と『韓非子』です。
ざっくり言えば、論語は人格や志、信頼関係でまとめるアプローチ。韓非子は、ルールや制度、評価の仕組みでまとめるアプローチ。
世間のイメージでは、論語は立派な道徳で、韓非子は冷たいルール主義、という構図になりがちです。
でも、ぼくはこの「冷たい」という評価こそ、組織を守るためには重要です。
韓非子の考えは、人間は弱い。
目の前の利益や、その日の疲れに流されてしまう。
だから、その弱さを責めるのではなく、流されても大事故にならない仕組みを、先に作っておく。
これは、ルールで縛る冷淡さではありません。
人間をよく見ている人による、現実的な優しさです。
医療の安全管理は、まさにこの発想でできています。
ミスが起きたとき、個人の反省と「次から気をつける」だけに頼っていると、同じことがまた起きます。
人は、エラーをする生き物だからです。
だからこそ、ダブルチェックを設計し、人間が見落としても止まる仕組みを置く。最近では、AIによる検知や警告を組み込む現場も増えてきました。
個人の努力ではなく、客観的な仕組みで支える。
そうすると、経験の浅い人も、ベテランも、迷わず同じように動けます。
ルールの本当の価値は、ここにあります。
人を縛ることではなく、人を守ること。
安全は、場所ではなく、設計です。
罰は、上の人ほど厳しく
韓非子には、「信賞必罰」という言葉があります。
賞と罰を、はっきりさせるということ。
これを「アメとムチ」とだけ読むと、もったいないんですよね……ここに、韓非子の核となる、実務上の知恵が詰まっています。
三国志の諸葛亮孔明は、劉備が亡くなった後、蜀の皇帝になった劉禅に韓非子を読むように薦めました。そして彼自身、規律の大切さを知っているからこそ、命令に背いた愛弟子の馬謖を、涙をのんで斬首しました。
「泣いて馬謖を斬る」ってヤツです。
優秀で、かわいい弟子。それでも斬ったのは、組織全体の規律を守るため。
ここで大事なのは、罰の向け方です。
賞は、立場の低い人に与える。
罰は、立場の高い人に与える。
韓非子では、このやり方が重要と何度も主張しています。
若手の小さな貢献にはきちんと光を当て、やる気を支える。一方で、権限の大きいベテランや幹部の規律違反を、「あの人だから」と、なあなあで流さない。
上の人ほど厳しく、というルールが守られているとき、組織は初めて「ルールは本物だ」と感じます。
逆に、上だけが例外になった瞬間、ルールは一気に、ただの建前になります。
冒頭の「いちばん権限を持つ人が例外になっている」場面は、まさにこれです。
では、論語か韓非子か?
ここまで読むと、では仕組みがすべてか、という話になりそうです。でも、実際は、論語と韓非子、どちらかを選ぶものではありません。
組織の時期によって、効くものが変わってきます。
立ち上げのころは、少人数の熱量と「これをやり遂げよう」という信頼関係で進めます。論語が活用できる時期です。
ところが人が増えてくると、阿吽の呼吸や情だけでは、ほころびが生じます。冒頭で挙げたような場面が、ちょうどこのあたりで噴き出します。ここで、属人的な善意を、客観的なルールに置き換える。そう、韓非子フェーズです。
そして、その土台がしっかり固まったあとに、もう一度、理念や信頼を温め直していけます。
順番が逆だと、うまくいきません。
仕組みのない場所に理念だけを掲げても、空回りします。信頼は、確かな土台の上でこそ育ちます。
そしてこれは、AI時代の専門職にも、そのままつながる話だと感じています。AIに任せられる仕事は、これから確実に増えます。それは、ある意味で「仕組みに委ねる」韓非子的な考え方です。
でも、仕組みに委ねるほど、最後に問われるのは人間の判断軸になります。どこを仕組みに任せ、どこは自分で見るのか。その線を、どんな経験から引くのか。
組織論に見えて、これは結局、自分の判断軸をどう持つか、という話なのだと思います。
ルールは優しすぎる組織をつくる
冷たく見えるルールを敷くのは、人を排除するためではありません。誰もが安心して、迷わずに力を出せる土台を作るため。その土台の上で、信頼ははじめて、ゆっくりと人は育っていきます。
みなさんの職場では、どうでしょうか。
「気をつけます」で終わってしまっている場面はないでしょうか。あるいは、上の立場の人だけが、いつの間にか例外になっていないでしょうか。
このあたりの感覚、現場の声も聞いてみたいです。
あなたの組織で、「これは善意ではなく、仕組みで支えるべきかもしれない」と感じている場面があれば、よければコメントで教えてください。
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「次から気をつけます」という個人の努力(論語)だけに頼るのではなく、人間はエラーをする弱い生き物だという前提に立って「流されても大事故にならない仕組み(韓非子)」を先に設計しておく、という視点に深く納得しました。
医療の安全管理におけるダブルチェックやAI検知の例えの通り、ルールを「人を縛る冷徹なもの」ではなく「誰もが迷わず安全に動けるための現実的な優しさ」として捉え直すアプローチは、慢性的な人手不足に悩む現代のどの組織にも不可欠な設計思想だと感じます。