9月から、臨床の現場に戻ります。
厚生労働省への出向を終えて現場に復帰するにあたり、ずっと頭にあったのは「若手の教育をどう設計するか」。教える側に回るたびに感じてきた、モヤモヤがあります。
自分の教え方は、知識を分け与えているだけではないか。
それで相手は本当に育つのか。
そんな折、スタンフォード大学オンラインハイスクール校長に、直接教育について相談する機会をいただきましたので、今日はその学びを共有します。
「週1コツコツ」はなぜ勝つのか
最初にぶつけた問いはこれです。
短期集中で詰め込むのと、週1回ずつ長期間かけるのと、どちらが効果的なのか。
自分の経験では、試験前にギュッと詰め込んだ知識は消えるのが早く、大学の「週1コマ×通年」のような学び方のほうが長持ちする実感がありました。
でも、現場の若手教育には「早く一人前に」という即時性が求められます。このジレンマをどう考えればいいのか。
校長の答えは明快でした。
「学びに必要なのは、時間の長さではなく、その時間をどう使っているかです」
週1回の学びが長持ちするのは、長くやっているからではない。
学ぶ→時間を置く→思い出す、というサイクル——学習科学でいう「スペーシング(分散学習)」——が自然に回っているからだ、というのです。
学んだ内容は24〜48時間後に一度思い出し(リトリーバル)、その後は1週間ほど間隔を空けて想起するのが良いとされている。
つまり「週1回」は、偶然ではなく理にかなったリズムです。
さらに面白かったのは、短期集中が悪いわけではない、という点です。
数学教育の研究では、1年かけたカリキュラムと夏の1ヶ月集中を比べると、集中の後に何もしなければ1年型が勝つ。ところが、集中の後に定期的にテスト(思い出す機会)を続けたグループは、効果がきちんと持続したそうです。
詰め込み自体が悪いのではない。詰め込んだ「後」を設計していないことが問題だったのです。
カナダでの体験が、10年越しにつながった
この話を聞いて、カナダで臨床をしていた頃の記憶がよみがえりました。
当時の病院では、半年ごとに新しいフェロー(専門医レベルで研修するドクター)が来るのに合わせて、2週間に1回のまとまった勉強会が回っていました。
1年いると、同じ内容を最低2回聞くことになります。そして不思議と、2回目のほうが圧倒的に理解が深いのです。1回目が「予習」になり、前回を思い出しながら聞く構造になっていました。
もうひとつ。指導医が毎日1回、必ずフィードバックをくれました。「今日どうだった?」から始まる振り返りで、自分と指導医の考え方の違いを何度も学びました。
あれは属人的な熱心さではなく、学習科学にかなったシステムだったのだと、いまなら分かります。
医療現場では「間違えさせる」が使えない
教育学には、あえて先に問題を解かせて間違えさせてから教えると、好奇心と記憶定着が高まる、という知見があります。
しかし、医療現場ではこれが使えません。
患者さんで「間違えて学ぶ」ことは許されないからです。
先生の整理は、ここでも明快でした。判断基準は「間違いの代償が回復可能かどうか」。回復不能なら、先に教えるのが基本。ただし、それで終わらせない。
先に教えたら、後で問う。
実践がうまくいった後に、「なんでこの手順だったんだっけ?」「他のやり方はあった?」と、振り返りとして問いを立てさせる。
すると学び手は、最初に学んだとき・現場で教わったとき・自分で考え直すとき、と同じ内容に3回出会うことになります。
問いを最初に立てさせられないなら、後ろに回せばいい。
問いで始まり、問いで終わる
振り返りの場のつくり方にも、型がありました。
本人の考えで始めて、本人の考えで締める。
「あの症例、判断の分岐点はどこだったと思う?」と本人のコメントから始める。議論を挟み、伝えるべきことを伝える。そして最後は「次に同じ場面が来たら、どうする?」という未来の問いで、本人に締めさせる。
先生はこれを「問いで始まり、問いで終わる」と表現していました。教える側が結論を引き取ってしまうと、学び手の「自分から感」が消える。問いを両端に置くことで、振り返りが「評価の場」ではなく「本人が考える場」になるのです。
もうひとつ、フィードバックの頻度について耳の痛い指摘がありました。
指導者が「この人にいま教えたい」と思い立って個別に声をかけると、受け手は「ミスしたのかな」「なぜ私だけ」とガードを上げてしまう。
だから、全員に、決まったリズムで、システムとして行う。
カナダでの毎日のチェックインが機能していた理由も、この「リズムの信頼感」にあったのだと思います。
個人の勉強から、組織の学びへ
最後に印象的だったのは、カリフォルニアの大手医療グループの話。かつて患者対応の評判に苦しんだ組織が、接遇と共感のトレーニングを組織全体で導入し、約10年かけて評判を立て直したそうです。
校長が強調していたのは、個人がスキルを身につける効果よりも、チームで同じプログラムを学ぶことで、学びが「共通言語」になることでした。同じ枠組みで学ぶと、チームの思考の方向性がそろってくる。半年に1回、半日でも効果があるといいます。
日本の医療現場は、学びがまだ「個人の勉強」に閉じがちです。忙しさを理由に、組織として学ぶ時間を確保する発想までいっていない。ここは、現場に戻ったら挑戦したいところです。
考えること自体が、教育
対話の終盤、私はこんなことを口にしました。
「結局、考えるということ自体が教育なのかな、という気がしてきました」
校長によれば、これは学習理論でいう「構成主義」の考え方そのものだそうです。知識は、知っている人から知らない人へ受け渡されるものではない。受け取った人が自分でやってみて、考えて、その人の中で組み立て直されて、はじめて学びになる。現在の教育学の主流は、こちら側にあるようです。
教えるとは、知識を渡すことではなく、考えさせる場を設計すること。
9月からの現場で、まず「問いで始まり、問いで終わる」振り返りから試してみます。その結果は、またここで報告します。



間違えさせるが許されないというのが印象的でした。ほんとにそうですよね。いつも医療関係者の方のその環境には尊敬の念を抱かずにはいられません。
別分野ではありますがちょうど同じようなことを考えていたので、記事が復習となり理解度が深まり定着した感覚があります。
ありがとうございます😊
患者さんの安全を守るため「間違えて学ぶ」ことが許されない医療現場だからこそ、「回復不能なミスは先に教え、実践後に問いを立てて振り返らせる」という工夫にすごく納得しました。あらかじめ教わった手順を後から「なぜそうしたのか」と考え直すことで、安全を担保しながら自分の中で経験を組み立て直す流れがとても明快ですね。